2015-05-06 17.13.05

今から5年以上前のこと。西新宿の雑居ビルで先輩の事務所を間借りしていた私は、仕事の合間によく窓の外を眺めていた。向かいのビルには、「東京すしアカデミー」なるものがあり、あとで寿司職人の養成学校だと知った。そこには、おもに中国人と思われる「アジア系の人たち」が、こぞって寿司の握り方を学んでいたのだ。

すでに当時、「SUSHI」は世界的ブームなことは知っていた。何より驚いたのは、私の目の前で「寿司職人の卵」が日々量産され、世界へ羽ばたいていることを知ったことだ。「ああ、なんて商魂たくましいんだ!!」

だが一方で、違和感とでもいうのだろうか。彼らがどんなに技術を身につけても、それが「本物の寿司」でないことを私たち日本人はどこかに感じていた。「やはり、本物は日本人が握らなくちゃね」と。

しかし、『すごい! 日本の食の底力―新しい料理人像を訪ねて』(辻芳樹/光文社新書)を読んで、その思いは一掃された。そして、私たちが先の「日本人でないスシ職人」に違和感を抱き続ける限り、「日本の食」は永遠に世界に広まらないのではないかとさえ思うようになった。

本書は、和食を含む「日本の食」が一般化しづらい現状を解説しながら、それに立ち向かう料理人や生産者、関係者を「辻調グループの代表」が取材するという異色のルポ。

近年、「和食」はユネスコの無形文化遺産となり世界中から注目を浴び、絶賛されこそすれ、その再現性の難しさが問題視されている。一流の料理人たちは、四季折々の気候や気温、湿度などによって、日々調理法を微妙に変えていることも一因だ。フランス料理のようにレシピとして言語化されることも少ないうえ(店の中でのレシピはあるが、門外不出が多い)、言葉の壁もあれば文化も違う。

たとえば、日本料理における「活け締め」という言葉は、英語やフランス語にはないそうだ。日本人の技術は世界から尊敬されているものの、情報発信力が問われているのは間違いない。

そんななか、ミシュランの三ツ星に輝く日本料理店「龍吟」の山本征治は、新しいタイプの料理人として本書に何度も登場する。自ら編み出した調理技術をYoutubeで公開し(英語で、もちろん無償だ)、きょうも世界中から出店依頼が届く彼のポリシーは、とても明快。出店条件として、基本的に海外の店に日本から食材を空輸するようなことはしないという。「それは偽札をばらまいているに等しい」とまで断言するのだから痛快だ。彼が抱く世界観は以下の言葉によく現れている。

<私がやりたいのは、自分たちの国の食材に誇りを持っている人たちに、日本料理のアプローチで食材を美味しく食べてもらうことです。台湾でも香港でも現地の料理法で美味しく食べている野菜を、もっと美味しく調理して彼らにますます誇りを持ってもらいたい。極端な話、たとえばアフリカに行って、シマウマで馬刺しをつくって木の根っこで薬味をすってサバンナの真ん中で食べてもらった時に、アフリカの食材は美味いと思ってもらえたら、それが最高だと思っています。>

本書のもうひとつの特徴は、著者もまた料理の世界における一流のプロであること。そこには、取材者に対する嫉妬心に近いような感情もあれば、この国の食文化の行く末を見守る親心のようなものさえも読み取ることができるのが面白い。

<料理人は極限まで芸術家に近い存在でありながら、芸術家であってはならないというのが私の持論だが、このように生産物を媒介してアーティスト同士が刺激し合えば、そこには新しい価値が生まれてくるのは間違いない。

 料理人を中心に、異業種の人間を巻き込んだネットワークと、それを生み出すコミュニケーション力。

 料理人と生産者が同じ方向を向いて語り合う大切さ。

 そのネットワークがしなやかに広がっていくとき、この国の食文化も、より豊穣になっていくことは間違いない。>

ご存知のように、日本とインドではカレーの作り方がまったく異なる。前者が数十種類の香辛料をミックスさせて作られるのに対し、後者のそれは「カレールー」という日本独自の発明品によって、たったひと手間で味付けがなされる。

もはや両者は「別の料理」と言ってもいいのだが、圧倒的多くの日本人は、カレーにおいて(だけ)はインドに絶大なる尊敬の眼差しを向けている(失礼!)。それをひと言で表すならば、「どうかカレーと呼ばせてください!」だろう。

このように、料理というものは、その土地において独自の発展を遂げることがよくある。それは、和食においても同様なのかもしれない。フランス料理が世界の料理界における「プラットフォーム」になっているように、世界進出を目指す「日本の食」もまた、その地位に狙いを定めていることが本書を読んでよく理解できた。

現在、フランス料理で日本人シェフが三ツ星を取るようになった。だとすれば、一流の技術を持つコミュニケーション能力に優れた(ここが大事)日本人以外の料理人が日本食を提供する日が来ること待ち望みたい。すでに一部にはそういう料理人は存在するのかもしれないけれど、極端なことを言えば、インド人の日本料理シェフがいたっていいはずなのだ。

話は冒頭の「東京すしアカデミー」に戻る。本書の続編が誕生する暁には、世界のSUSHIブームを牽引するこの寿司職人養成所をぜひ取材してもらいたいものだ。聞きたいのは、ここから巣だった彼らがどれだけ世界で稼ぎまくっているかということなのだけれど。

すごい! 日本の食の底力 新しい料理人像を訪ねて (光文社新書)

すごい! 日本の食の底力 新しい料理人像を訪ねて (光文社新書)

  • 作者:辻 芳樹
  • 出版社:光文社
  • 発売日: 2015-04-16