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きょう4月2日は祖父の9回目の命日でした。ちょっぴりノスタルジックな気持ちになり過去のFBをぼんやり眺めていたら、3年前に書いた祖父のことが出てきました。ちょっと恥ずかしい気もしますが、忘れないためにも再掲しておきます。

 

 

きょう4月2日は祖父の6回目の命日でした。わたしは人づきあいや仕事の多くを祖父から教わりました。いまの出版業界で働くようになったきっかけも、祖父にねだって連れて行ってもらった田舎の小さな書店があったからです。小学生だったわたしはコンピュータ雑誌(当時アスキーが発行していた「MSXマガジン」や「ログイン」など)、祖父の目当てはエロ本でした(笑)。わたしは、そんな欲望に忠実な祖父が大好きでした。

祖父の名は俊介といいます。俊介じいさんは兄を戦争で亡くし、その跡取りとなるために養子縁組し、わたしの父の父になりました。つまり、わたしと俊介じいさんには直接の血縁はありません。亡くなった兄(わたしの本当の祖父)とは歳が離れていたこともあり、奥さんになったわたしの祖母とは8歳も離れていました(つまり、姉さん女房)。(つづく)

 

友達の多い人でした。そして、よく人の相談に乗っていました。夕方になると、いろんな人が俊介じいさんを訪ねてきました。大半は他愛のない話だったと思うのですが、訪問者は「この人と話がしたい」という表情を明らかにもっていたように思います。わたしはそれを傍らで聴くのが好きでした。(つづく)

 

行動力の人でした。朝5時に起床してから夜9時に就寝するまでほとんど小走り状態でした。たんに落ち着きがないのかもしれませんが、好奇心旺盛でやりたいことがたくさんあったのでしょう。病床に伏す直前まで愛車の軽トラで走り回っていました。かと思えば、雨の日は読書をしたり写経をしている。なんとも不思議なひとでした。今の時代に晴耕雨読ができるひとがどれくらいいるでしょうか。うらやましいかぎりです。(つづく)

 

天職に生きる人でした。俊介じいさんが病床に伏してから何度か病室に泊まったことがあります。いろんな話をしました。なかでも一番印象に残っているのは「もういちど田んぼで働きたい」という話でした。もう寿命が長くないことはわかっているのに、それでも働きたいという。「天職」とは、死ぬとわかっていてもやりたい仕事であることが、さいきんになって理解できるようになりました。(つづく)

 

愛と感謝に生きる人でした。贈り物が大好きで、頼まれてもいないのに自家製の野菜や米、餅などを知人に配り歩いていました。見返りを求めないその姿勢が、いまになってどれほど偉大なことか実感できます。祖母が亡くなったのが2月22日。そのとき俊介じいさんは入院していたので葬儀には出られなかったのですが、祖母への感謝状をベッドに寝ながら書きました。それは遺族であるわたしたちによって、大切に祖母の棺に納められました。なんて素敵な夫婦なんだろう、とこころから思いました。(おわり)